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ヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』 (下書き)

 

 

いま読んでいる本の作者とタイトルです。

 

臨床心理学(心理臨床)の道に足を踏み入れたのは、大学2年生のとき。

(きっかけや出会いは、もう少し前に遡りますが。)

その頃、夢中になって読んでいたのがヘルマン・ヘッセでした。

 

遅読のため、一冊読むのに時間がかかることもあり、当時読んだのは6〜7冊。

物語の細かい部分は忘れてしまったところもありますが、読んでいる時の感覚や受けた印象は今も覚えているし、その頃の私に大きく影響を与えていた(共鳴していた)ことを覚えています。

当時は放浪の物語、『クヌルプ』が一番好きでした。

 

その後迎えた生活の転機とともに、しばらくヘッセからは離れていましたが、

久しぶりに、未読だった『荒野のおおかみ』を読んでいます。

 

 

冒頭の部分から、少し引用して載せてみたいと思います。

 

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「この本は、筆者自身がしばしば用いた表現で私たちが「荒野のおおかみ」と読んだ男の残した手記を内容としています。彼の原稿が紹介の序文を必要とするかどうかは、しばらくおいいて、私としてはともかく、荒野のおおかみの記録に数枚を添えて、彼についての私の思い出を書き留める試みをしてみたいのです。私が彼について知っていることは、ごくわずかです。特に彼の過去と素性についてはまったくわからずじまいです。だが、私は彼の個性から強い印象を受けました。なんのかのと言っても、共感的な印象を受けた、と言わざるをえません」

 

 

「さて、ハラーの手記に関しては、この奇妙な、部分的には病的で、部分的には美しい思索に満ちた空想に関しては、もしそれが偶然私の手に入ったのであり、その作者を知らなかったとしたら、私はきっと腹を立ててこんな原稿は捨ててしまっただろう、と思わざるをえません。

しかし、ハラーと知り合いであったことによって、それを部分的に理解するばかりか、是認することができるようになりました。もしその中に見られるものが一個の哀れな精神病者の病的な空想にすぎないとしたら、私はそれを他の人に伝えるのをためらったでしょう。

だが、私はその中にあるそれ以上のあるものを、時代の記録を認めます。なぜならハラーの精神病は、ーー今日になって私にも分かったのですがーー一個人の狂想ではなく、時代そのものの病気、ハラーの属していたあの世代の神経衰弱症だからです。それに襲われるのは決して弱い劣等な個人だけでなく、まさに強い最も精神的な最も天分のある人なのです。

この手記は、ーー実際の体験がどんなに多くあるいはどんなに少なくその根底にあるかはどうでも良いことですーー大きな時代の病気を回避や美化によって克服する試みではなく、病気そのものを表現の対象とする試みによって克服する試みです。」

 

 

「ハラーは、二つの時代のあいだに挟まれた人、あらゆる安全さと無邪気さから脱落した人、人間生活のあらゆる疑惑を個人的な苦悩と地獄として体験することを運命としているような人、そういう人のひとりです。

その点に、彼の手記が私たちにとって持ちうる意味がある、と思われます。それゆえ、これを発表する決心をしました。それ以上、私はそれを弁護しようとも酷評しようとも思いません。読者がめいめい良心に従ってそれをなさるように!」

 

 

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ヘッセの言葉と言われているものの中で、好きな言葉があります。

「世界は、両極と両極のその間に広がっている」。

 

ヘッセ自身は、「詩人になるか、そうでなければ何にもなりたくない」と言って、寄宿学校を飛び出したという逸話もある人ですが、彼の作品は、広がる世界の間を模索したような作品も多いような印象を受けます。そこに、共感的な視線を見てとれるところ、ヘッセの美しい筆致によって、その模索が生き生きと感じられるようなところが、作品を好きだった理由のひとつだったのかなと、このブログを書きながら思いました。

 

 

読み進めていくのが楽しみです。